2019年、けやき坂46から日向坂46へと改名したアイドルグループと、「日本のひなた宮崎県」。「ひなた」のフレーズでつながる両者の関係は、テレビ番組「日向坂で会いましょう」のロケをきっかけにスタートした。そして2024年、日向坂46初の野外フェス「ひなたフェス2024」がひなた宮崎県総合運動公園で開催され、大成功に。フェスの1か月前に発生した日向灘の地震や令和6年台風第10号などの被害もあり、県内経済が落ち込んでいた中で地域経済の再生を図っていく大きな後押しとなった。
開催から半年が経ち、フェスがもたらした経済効果や地域社会への影響が明らかになってきた今、成功を支えた知られざる舞台裏に迫ることに。連載「backstage of ひなたフェス」では、陰で尽力した関係者へのインタビューを通じて、各取り組みのカギを探っていく。今回は「おひさま勉強会」の発案者である、九州産の食材を届ける「やお九州」社長の服部学さん、カフェ&コワーキングスペース「若草HUTTE」店主の今西正さんに話を聞いた。
<backstage of ひなたフェス>わたしが考える「成功のタネ」
(右から)「やお九州」社長の服部学さん、カフェ&コワーキングスペース「若草HUTTE」店主の今西正さん
■きっかけは「せっかく来てくれるなら宮崎を好きになってほしい」の思い
「おひさま勉強会」は、宮崎をはじめとする有志による、おもてなしなどについて考えるイベントだ。ライブ開催の約4ヶ月前である、5月16日に「一限目」がスタートし、イベント当日まで月に1~2回の頻度で開催。日向坂46を知らなかった県民の認知度を高めるとともに、全国のファンや地元住民の士気を引き上げてきた。回を重ねるごとに、参加者の幅も広がり、宮崎在住のおひさま(日向坂46のファンの総称)や事業者、行政職員、地元議員、学生、さらには全国から集まったファンが参加するまでのイベントに。
カフェ&コワーキングスペースでありながら、音楽ライブやグルメイベント、結婚式の二次会、就職イベントなど幅広いジャンルのイベント会場として利用されることも多い「若草HUTTE(以下、ヒュッテ)」。そうしたイベントの一環として、特定のジャンルに精通する人を講師として呼び、参加者同士でフランクに話し合い学びを深め合うイベントを過去に何度も開催してきた。
「ヒュッテは元々から、そういう好奇心旺盛な人が集まる場所。一定数『ヒュッテでイベントをするなら行きます!』といった、ヒュッテ推しの人がいるんです」(服部さん)
4月、日向坂46が宮崎でフェスを開催すると知った服部さんは、すぐに今西さんに相談。日向坂46について「正直、名前は聞いたことがある程度だった」というが、「それでもせっかく来てくれるなら、宮崎を好きになってほしい」という思いから、まずは日向坂46について学ぶ場として勉強会を始めることを提案した。
「同じ思いを持っている宮崎県民は他にもいるはず。だったら、たくさんの人を巻き込む方が面白くなるかなとも思いました」(服部さん)
■一イベントからフェスの盛り上がりを後押しする取り組みが誕生
以前からおひさまとして知られていたMRT宮崎放送の山崎直人アナウンサーを講師に迎え行った「一限目」終了後には、早速全国のおひさまからの反響が。日向坂46の運営サイドからも好意的な意見が寄せられ、「運営サイドから嫌がられるのでは」という唯一の懸念点も杞憂に終わった。「二限目」以降は全国からおひさまが参加し、日向坂46のメンバー2人が実際に登場するサプライズの一幕もあった。
勉強会を重ねるうちに、「日向坂46について学ぶ場」から「どうすれば歓迎の気持ちを具体的に伝えられるか」を考える場へと変化していった。次第に勉強会の参加者同士の繋がりやその場のアイデアから、当初は予想もしていなかった多くの取り組みが生まれた。
・「日向坂46時間TV」内でメンバーが考案した「フェス飯」の再現
・宮崎を訪れるおひさまのための「おひさま歓迎マップ」の制作
・県内事業者と協力したコラボグッズの制作
・勉強会メンバーがリサーチ・提案した県内の坂が、「日向坂46時間TV」内の企画「全力日向坂!」(メンバーが坂を走る企画)に採用
・フェス会場となった「ひなたサンマリンスタジアム宮崎」がある木花・青島地区での勉強会開催
初対面の人同士も多い場であったにも関わらず、活発な意見交換が印象的だった勉強会。この意見交換は、今回の取り組みを考える上での大きなポイントにもなった。
「そもそも講師の話をただ聞くスタイルではなく、ファンも事業者も行政職員も同等の立場かつ、それぞれの得意分野を踏まえながら意見を出し合うという立て付けのイベントだったため、多くの参加者から意見が出ていたのだと思います。さらにおひさまにとっては馴染み深い話でも、積極的な質問や意見が加わることで議論が深まり、新たな展開が生まれていたように感じますね」(服部さん)
■フェス後も続く勉強会とファンとの関係性
そんな「おひさま勉強会」成功の最大の理由に、服部さん、今西さんが挙げたのが「おもいやり」だ。一方的に自分たちが考える「おもてなし」を押し付けるのではなく、全国のおひさま・日向坂46のメンバー・宮崎の関係者が求めていることや大切にしている価値観を踏まえながら勉強会や取り組みを進めてきた。
例えば「おひさま歓迎マップ」では、単に日向坂46にまつわる宮崎の名所や飲食店の紹介だけではなく、初めて宮崎を訪れるファンがスムーズかつ安心して楽しめるよう、交通アクセスや、おひさま歓迎企画などを行う「おひさま歓迎店」を掲載した。また、「フェス飯」の再現では、メンバーが考案したアイデアを尊重しつつ、ファン心をくすぐるアイデアを勉強会メンバーや各飲食店で工夫した。
このおもいやりは、勉強会の主要メンバーに限ったものではない。おひさまの中には、ライブをきっかけにメンバーを好きになってもらえるようにと、県外からわざわざ勉強会に参加したり、SNSで積極的に情報を拡散したりと独自にサポート活動を行う人たちも。一方、日向坂46のメンバーや運営サイドも、ラジオやブログで勉強会について発信。これらの、勉強会・ファン・日向坂46・宮崎県の勉強会に関わる全ての人たちの「おもいやり」ある行動が、結果として勉強会の成功に繋がったと二人は繰り返し強調した。
「個人的な考えですが『おもいやり』は、ひなたフェス全体の成功要因でもあると思っています。おひさまからは、『宮崎県民に日向坂46の魅力を伝えたい』『メンバーが大切にしている宮崎だからこそ、自分たちもその思いを共有し、誠実な行動を心がけたい』という共通した思いを感じましたし、メンバーや運営サイドからは、『おひさまに宮崎を好きになってほしい』という思いや、宮崎への感謝の思いが伝わってきました。さらには、宮崎県も当日多くの人が楽しめるよう、交通アクセスの改善や観光案内の充実を図るなど、ムードを高める取り組みに全力を注いでいたと思います。それぞれのおもいやりが、フェスを成功に導く要素になっていたのではないでしょうか」(今西さん)
ひなたフェス終了後も、勉強会は定期的に開催されている。ひなたフェスの振り返りや、新たな取り組みを話し合う中で、2024年11月や今年の5月には地元での野外イベントにおひさま勉強会のブースを出展。またヒュッテには、今もなお全国からおひさまが駆けつけるなど今回を機に生まれた日向坂46やおひさま、地元住民との繋がりはこれからもレガシーとして残っていくだろう。
「フェス自体は昨年終わりましたが、まだ僕たちのひなたフェスは終わっていません。宮崎で今後フェスが開催されるかは分かりませんが、開催の有無に関わらず宮崎におひさまを増やすと同時に、宮崎を愛する『宮崎のおひさま』を増やしていくこと。それが僕らの目標です」(今西さん)