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【backstage of ひなたフェス/第二話】読売巨人軍のキャンプ地・ひなたサンマリンスタジアム宮崎が迎えた初の音楽フェス

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2019年、けやき坂46から日向坂46へと改名したアイドルグループと、「日本のひなた宮崎県」。「ひなた」のフレーズでつながる両者の関係は、テレビ番組「日向坂で会いましょう」のロケをきっかけにスタートした。そして2024年、日向坂46初の野外フェス「ひなたフェス2024」がひなた宮崎県総合運動公園で開催され、大成功に。フェスの1か月前に発生した日向灘の地震や令和6年台風第10号などの被害もあり、県内経済が落ち込んでいた中で地域経済の再生を図っていく大きな後押しとなった。

開催から半年が経ち、フェスがもたらした経済効果や地域社会への影響が明らかになってきた今、成功を支えた知られざる舞台裏に迫ることに。連載「backstage of ひなたフェス」では、陰で尽力した関係者へのインタビューを通じて、各取り組みのカギを探っていく。今回はライブ会場となったひなたサンマリンスタジアム宮崎をはじめ運動公園全体を管理している「宮崎県スポーツ施設協会」の有島仁さんにインタビューを実施した。

 

<backstage of ひなたフェス>わたしが考える「成功のタネ」

「宮崎県スポーツ施設協会」の有島仁さん 「連携」

 

■スポーツの聖地から、音楽の舞台へ

宮崎特有の温暖な気候を活かし、内外野総天然芝のグラウンドを持つ「ひなたサンマリンスタジアム宮崎」。球場の円周は約600メートル、最大収容人数3万人というスケールに加え、名称には「燦々と降り注ぐ太陽」と「雄大に広がる海」という宮崎らしさが込められている。スタンドには、太陽の赤と海・空の青を基調とした色が配され、照明塔にはヤシの木「ワシントニアパーム」をイメージしたデザインとなっている。

そんな同球場は2001年の開場以来、読売巨人軍の春季・秋季のキャンプ場として知られるほか、プロ野球ファーム日本選手権や全国高校野球選手権宮崎大会など、数々の野球イベントの舞台となってきた。侍ジャパンも2009年以降、キャンプ地としてたびたびこの球場を使用しており、2023年にもキャンプが行われた。

 

しかし、音楽フェスの開催は今回が初の試み。長年にわたり「スポーツの場」としての運用に特化してきたスタジアムに、宮崎県より同フェスの話が舞い込んできたという。当時有島さんの胸に去来したのは期待とともに、戸惑いでもあった。

「コロナ禍でイベントが相次いで中止となったことで、スタジアムの新たな活用法について考えるようになっていたタイミングでした。そこに舞い込んだ音楽フェスという提案は、正直驚きもありましたが、同時に大きなチャンスだと感じました」

 

■最も頭を悩ませた「天然芝の保護」

こうして前代未聞の挑戦がスタート。中でも最大の課題となったのが、グラウンド全面を覆う天然芝の保護だった。

「重機の乗り入れやステージの設置に当たり、芝に大きな負荷がかかることは分かっていました。そこで県より提案を受け、特に負荷がかかる部分が大きい所については芝を全面的に張り替えることに決めたのです」

天然芝の張り替えも、スタジアムにとっては初めての試み。作業は、阪神甲子園球場などの整備を手がける阪神園芸に依頼した。

芝には「夏芝」と「冬芝」の2種類があり、それぞれ特性が異なる。夏芝は葉が太く、乾燥や暑さにも強いが、冬芝は夏芝に比べてデリケートだという 。スタジアムは冬芝であったため、保護が難しく、張り替えが必要だった背景にはそうした芝の特性もあったという。

会場内での物販や飲食エリアは、スタジアムとは別の場所に設ける必要があった。選ばれたのは、第2陸上競技場。こちらは普段、スポーツキャンプなどで使用されていないエリア。夏芝であるため一定の耐久性があり、比較的トラックや軽トラックの通行にも対応しやすかったことが決め手となった。

「とはいえ、できる限り芝へのダメージを抑える必要がありました。機材の運搬ルートや導線など、何度も検討を重ねましたね」

また当日の雨天を見越しての水はけ対策も行われた。特に第2陸上競技場の入り口付近は排水が詰まりやすい構造であるため、当日に向け油圧ショベルで地面を掘り、排水路を確保するなど、現場では臨機応変な対応が続いた。

 

■「スタジアムはスポーツだけじゃない」次の挑戦へつながる一歩に

最後に今回の取り組みを振り返り、成功の要因として有島さんが挙げたのが「連携」だ。

「行政の方や今回のフェスを運営していたライブエグザムさん、阪神園芸さんなど、さまざまな関係者と一丸となって取り組んだからこそ実現できたフェスだったと思います。特にライブエグザムさんとは約1年間、2週間に1回は打ち合わせを行っていました。法令や条例の面で難しい点も多かったですが、お互いに歩み寄りながら、より良い形を模索できたと思います」

 

音楽フェスという未知の取り組みを経て、有島さんの中には確かな手応えが残った。「実際にやってみないとわからないこともたくさんありましたが、全体としてはうまくいきました。SNSなどで来場者の皆さんのポジティブな声を目にするたびに嬉しい気持ちになりました」

ひなたサンマリンスタジアム宮崎が“音楽の舞台”として踏み出した、はじめの一歩。今回の経験は、スポーツだけにとどまらないスタジアムの可能性を広げる、大きな挑戦となった。

 

 

 

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